荒唐遊民

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記憶とディストピアー陳玉勲の歴史コメディ映画『健忘村』感想(ネタバレあり)

1.陳玉勲への個人的偏愛

あまり好きな映画監督や作家論などは語りたくないタイプだが、「好きな映画監督は?」と尋ねられたら、最近は陳玉勲の名前を挙げることが多い。このブログでは台湾映画の観想をあげることが多いが、台湾映画を観始めるきっかけは『一秒先の彼女』だったし、2年前の台湾巨匠傑作選では念願の『ラブ・ゴーゴー』と『熱帯魚』を観ることができた。彼の描き出す冴えない男女の少しとぼけた笑えるラブコメディや、小さな記憶がきっかけに動き出す物語、どこにでもいそうな人々による現実と地続きのファンタジーにいつのまにか連れ出される感覚、どれも本当に素晴らしい。

そんな彼は、長く広告業界に身を置いていたこともあり、長編作品は上述した作品以外に。今回観た『健忘村』と『祝宴シェフ』、それに5月8日から日本でも公開予定の『霧のごとく』のみである。ようやくAmazonPrimeで視聴できた『健忘村』は『祝宴シェフ』と同時期に制作された、コメディ要素の強い作品だ。

2.あらすじ

清王朝が辛亥革命で倒れた直後、中華民国の田舎の村は鉄道が開通する噂で沸き立っていた。そこで、村人の大餅は村を狙う盗賊にそそのかされて、盗賊の手引きをしようとするが、酒宴のさなか突然死し、村は混乱に陥る。そこに、ひとりの導師田貴があわられる。彼は、人が消し去りたい記憶を消す周王朝から伝来する不思議な装置をもっている。村人は、消し去りたい記憶を消してもらい、村には幸福が訪れる。

しかし、村人たちは徐々に自分の名前や家族するも忘れはじめ、田貴は村を掌握する。彼は大餅の未亡人秋芙を妻とし、村長になって、村人たちに宝探しを命ずる。田貴の狙いは、記憶を消去する装置で回収した記憶をもういちど戻す宝物で、その手掛かりがこの村にあるため、村を支配しようと試みていたのだ。

その頃、盗賊たちはいよいよ村を襲撃しようとする。その盗賊には秋芙が大餅と結婚する以前の恋人で元村長の息子もいた。秋芙は徐々に田貴の企みと不思議な装置の秘密に気付き始める。

 

3.記憶と自己同一性

導師は記憶を消す前にふたつの選択を迫る。それは、「記憶を抱えて悩みながら生きること」と「忘れて新しい人生を歩むこと」だ。そして、多くのひとが忘れたいことを抱えながら生活するのをやめるが、それは全てを忘れてしまうことの入り口だった。記憶を失くすことは、自己同一性の喪失と同義のものとしてこの作品では描かれている。

そして、記憶を失った村人たちは、文字通りゼロから導師を崇拝する新たな生活を始める。悩みからの解放が自己同一性すらもなくなり、甲乙丙と番号で呼ばれるディストピアへと繋がっている。

さらに、物語の終盤で導師が、記憶を取り戻すことに執着している理由は、彼自身も記憶を失う装置によって、ある女性との記憶を失ってしまい、それを回復するためであることが明かされる。記憶を取り戻すという執着が、人々の記憶を喪失させることに繋がるというアイロニカルな結末だ。

以上のような記憶を巡る執着は、他の陳玉勲の作品で描かれるような「夢と現実との曖昧さ」や『一秒先の彼女』で主人公が「記憶していない自らの経験」を探し続ける構図とも類似しているのではないだろうか。

 

4.コメディアン陳玉勲

陳玉勲のラブコメディ作品では、どこか間の抜けたシュールな笑いが作品の随所に登場する。ところが、この作品と『祝宴シェフ』では、どちらかというとベタなコメディが前景化しており、その他の作品とは一線を画している。特に、『健忘村』は春節映画として公開されたという背景もあるのかもしれないが、これはこれで彼の守備範囲の広さなのだろう。